『情報様式論』ーーマーク・ポスター
人文社会学系の、ネット・IT関連の著作では度々言及されていた。
学部時代から、タイトルだけ知っているが内容は知らない状態であった。今回、意を決して読んでみた。
ー概要ー
マルクスの「生産様式」を援用し、「情報様式」という概念を打ち立てる。そして、マルクス・ウェーバー、ボードリヤール、フーコー、デリダ、リオタールなど、各論者の打ち立てた理論を批判するとともに、「情報様式」を持ち出すことで、現代的に読み解いていく。
ー感想ー
オリジナルは1990年であるので、現代から見れば時代遅れの内容もある。ただ、そうでありつつも現在においても面白く読める。時代的な制約を踏まえると、当時としては果敢な取り組みであったと思う。
個人的には、ボードリヤールのテレビCM、フーコーの権力の章が楽しく読めた。
ただ、論者を批判するときに「不思議なことに、〜〜は、情報については言及していない」といった批判形式を多様するが、作法として妥当なのか疑問であった。
(たとえば、「ウェーバーは官僚制と科学を截然と弁別していたが、科学と官僚制の共通点にはなぜか言及していない」、のような)
たしかに20世紀末の現代から読み解けば、不足点も指摘できるが、それは19世紀の時代背景において想定することがそもそも難しい
(社会学的な文脈でウェーバーを理解するなら、当時の社会において「官僚制と科学」が現代ほど近接していたとは思えない。なぜなら「国家」と「科学」が接近するには世界大戦を待たねばならないから。また「情報」という概念も、当時の社会において人口に膾炙していないであろう。すなわちポスターが指摘する不足点は、当時の社会学が対象とした「社会」においては、まだ現れていなかった、たとえ現れていても現代と比べれば微々たる存在でしかなかった、といえるのではなかろうか)
そのため、マルクス・ウェーバーを批判するにしても、時代背景として言及の難しい対象の有無をもって批判するのは、批判として紳士的でない、と思う。
しかし、これは表現の仕方の問題であって、「『情報様式』を用いて、先人の分析枠組みをアップデートする」、と言えば聞こえは良いのだと思う。
(ただこの表現だと、「批判」ができない)
いずれにしても、野心的な、今読んでも面白い著作でした。
自分はポスト構造主義は勉強不足なので、その知識をつけたのちに読めばよりいっそう面白いのだと思う。
訳者あとがきを読むと、先に要旨がつかめるので読みやすいと思われ
- 作者: マークポスター,Mark Poster,室井尚,吉岡洋
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 2001/10/16
- メディア: 文庫
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