つらつらブログ

新卒4年目.エンジニアとしての生活が始まる。読書録備忘録など.思ったこと感じたことを記録しています.

環境への適応と批判精神の喪失――会社への慣れ

(最初に断っておくと、今回の記事は自分のもやもやした感情を吐き出し、偏屈した感情の渦巻いた記事になっている。)

言いたいことは自分の決意表明である。 環境への慣れに警戒心を持つこと、すなわち自分の属する社会に対して距離感をもつ批判的視点を見失わないようにすることだ。

新人が環境に適応すること

入社して半年が経過した。 半年が経過すると、新人でも社内で顔見知りが増え、また1日の流れなど、慣れが出てくると思う。

会社とはいわば1つの社会である。社会とは個々人の総体以上のものであり、それぞれの社会特有の文化を兼ね備えている。 そうした文化の1つに「言葉遣い」がある。例えば、「〇〇用語」(※〇〇:会社名)と呼ばれるようにその会社に所属するメンバーが多用する言葉である。

こうした用語を使うことによって、社内でのコミュニケーションは円滑になる。またその言葉を理解できるものとして、同朋意識の醸成にも一役買っていると思う。(自他を区別する基準として言語を持ち出すのは「バーバリアン」という言葉にもある通り、言語を取得して以後の人間の特質であろう)

そうした社内用語の取得は、入社間もないメンバーに連帯意識を醸成する。これらの用語を時宜を得て使えたさいには、自分がこの会社に属しているという安心感も覚えるだろう。

ただ、こうした言葉を用いる際に注意しておかなければならないのは、あくまでその社内という1つの「コミュニティ」に閉じた言葉であることだ。 1つのコミュニティでコミュニケーションを円滑にする用語は、それ以外のコミュニティにおいては理解を妨げる言葉だ。 例えば、社外の勉強会に参加し、社内と同じ調子で社内用語を用いても他者の理解には役立たない。 万が一したり顔で社内用語を使用すれば、顰蹙も買うだろう(言い過ぎか笑)

このように社内用語は、その会社の一員としての同朋意識の確認と、円滑なコミュニケーションの情勢に役立つ。 一方でその使用場面が社外に移ると、コミュニケーションを阻害する可能性もある。

以上のように、社内用語は外部との関係性においてその影響が考えられる。 だが、一方で日常的にそれを使用することが、外部だけでなく、内部すなわち自分自信にも返ってくると感じた。

自分の抱いた危機感――社内用語の使用がもたらす無思考

社内用語を用いれば、コミュニケーションが円滑になる。また同朋意識も醸成される。

こうした自分を基準にした外部への影響の側面と、一方で内部すなわち自分自身への影響もある。

便利だからといってその社内用語ばかりもちいること、また社内用語に溢れたコミュニケーションに浸ることは、逆説的に対話力を低下させる。

例えば、そうした用語に慣れてくると、特定の場面において半ば脊髄反射的に社内用語を使うようになる。 また、同じ社内のメンバーであれば社内用語によって、意思疎通も図りやすい。

だが、こうした用語をもちいるときには、自分の思考は働いているだろうか。 その言葉がもつ意味を吟味して使用しているだろうか。 使うに適当な場面か勘案しているだろうか。

これが社外であれば、多くの人が上記の観点に留意して言葉を使用している。 だが、ことに社内となると、そうした思考は巡らなくなる。ひとえに必要ないからだ。

だが、自分の言葉遣いや、それらが用いられる場面に意識が向かなくなると、人は自分の思考に対して批判的でいられなくなる。 また、自分だけでなく、他社に対しても想像力がなくなる(社内話法に慣れてしまうことで、そうした他社の存在を前提としたコミュニケーションが減ってしまう)

上記の危機意識は、入社半年を経て、自分や同期の振る舞いを見る中で感じるようになった。

自分の日常を剥がすこと

社内用語の使用と批判精神の欠如を剥がすためには、まず重要なのは、社内用語はそのコミュニティでしか通じず自分もその状況に乗っているだけだという事実に自覚的になることだと思う。

その自覚的になるためには、自分の日常を剥がすことが必要と思う。 「剥がす」とは、自分に付着してしまう特定のコミュニティ感覚を取り除いていくことだ。

そのために必要になることは、外部との接触を持つことである。 それは年代や所属の違う人々、いつも触れることの少ない本・雑誌・ウェブメディアなど、手段はいくらでも思いつく。

日常的に、こうした非日常との対話の機会を持つことは、自分の対話力は批判精神を涵養するに必要だ。

ただ、結局時間は有限であり、どの程度まで自分の感覚を剥がすのかは程度問題である。また、その感覚を剥がしすぎて所属時間の多いコミュニティとのコミュニケーションに齟齬が生じれば元も子もないかも知れない(人によってはそうだと思う。ただ、個人的には社内用語に自覚的であれば、たとえ外部との接触機会が増えたとしても使用には問題ないと思う)

書いていたら予想以上に長くなってしまった… このあたりもっとわかりやすくかつ端的に書けるようになりたい。