【感想】『Effective DevOps ―4本柱による持続可能な組織文化の育て方 』を読んだ
やっと読みきった。350ページ強あるので読み切るのに時間がかかりました ※技術書を速読できるようになりたい。そのためのテックニックも知りたい
備忘録も兼ねて、簡単に感想を書きます
全体の構造
「対立組織として描かれることの多かったDevとOpsが共同すること」が議論の出発点です。
"DevOpsを支える4本の柱" として以下の4つが掲示され、それぞれの説明が全体を通して続きます。 - コラボレーション - アフィニティ - ツール - スケーリング
対立する組織の協働という意味で、具体的なDevOpsの手法というよりは、組織や個人の心理面や文化面が多く言及されていると感じました。
また言及はされつつも、教条的な掲示に終わるのではなく、具体的な実践方法も併記されていたので読みやすかったです。
感想
掲示されているDevOpsを推進するためのポイントはどれも「真っ当」なものと感じました
- 例. 皆が納得できるように報酬の設計をオープンにする。メンバー間で利益の差が生じないようにする(人種、性別間など)
個々人が恐怖感を感じずに伸び伸び働けるように、コミュニケーション組織を設計する必要があります
特にマネージャーの立場から眺めると、『エンジニアのためのマネジメントキャリアパス』の実践と重なる点があるので、併読するとよさそうです
また「エンジニア組織」と聞いて一般に想起される特徴さえもマイナスな影響を及ぼす可能性に気づかされました
- 例. 揃いのパーカー→支給されるのはDevのエンジニアだけになっていないか?レクリエーションのための卓球台、ドリンクカウンター→全員が好きなわけではない。
また、言及対象が個人や組織のあり方というより汎用的な概念であることからも想起できますが、エンジニア組織だけが注力して解決できるものではなく、人事制度やコミュニケーション 研修など、より会社全体としての取り組みが必要とも感じました。
総じて、世の中のトレンドと合致した方向にはなっているので、DevOpsは進めやすい(ある種当たり前)の環境になっていくなと思います。
一方具体的に解決していくためには、組織での課題洗い出し、優先順位の整理、実行、とめげずに進める忍耐力も必要だと感じました。
DevOpsは魅力的かつ今後は必須な概念ではあるけど、なんとなくでは成立せず意志をもって進めていかないとなーと実感しました
キーボードVortecgear Tab60レビュー
キーボードVortecgear Tab60レビュー
Vortexgear Tab60を購入しました。
まだ使い始めて1日目程度ですがレビューしてみます。
購入した理由
また別でブログを書こうと思っていますが。もともと40%キーボードのVortexcoreを利用していました。
https://www.amazon.co.jp/VORTEX-メカニカルミニキーボード-英語US配列-Cherry-VTG47REDBEG/dp/B073HHYBN1?th=1
このVortexcoreが非常に使いやすく、一方でどうしても慣れないところがありました。
その両方を抑えられるものとしてVortexgear Tab60を購入したのが今回の経緯です。
Votexcoreの気に入っていたところ
Vortexcoreで気に入っていたのは以下の点でした
- 徹底的に無駄を削ぎ落としたミニマルなデザイン
- キーマップの変更がキーボードで完結
- 打ちやすいキーキャップとキースイッチ
それぞれ説明していきます
徹底的に無駄を削ぎ落としたミニマルなデザイン
商品サイトを見ていただければわかると思いますが、キーボードを上から眺めるとキーキャップ以外の部品が見えません。また過剰なデザインも少なく、必要最小限の装飾に止められ機能美が保たれています
キーマップの変更がキーボードで完結
これは最も大きい特徴と言っていいと思います。キーマップの変更がキーボードすなわちハードウェア側で完結するのはメリットが多いです。
自分はMacを利用しているのですが、確かにKarabinerを利用すれば、OSの方でキー入力を変更できます。またMacのデフォルトの機能でもcommandやaltキーの切り替えなどは可能です。
ですがそれぞれ以下の問題点を感じていました。
- Karabiner
- あくまでソフトウェアであるため、Karabiner自体がバグると、キーボード入力も正常にできない場面があった。
- Macのデフォルトの機能でのキーマップの切り替え
- 切り替えできるのは、commandやaltキーなど一部に限られています
上記の問題を解決するのがキーボード完結のキーマップ変更でした。
Vortexcoreはキーボード完結でのキーマップ変更が可能なため、接続するコンピュータ側での設定は不要になります。
また接続するコンピュータを切り替えたとしても、コンピュータ側の設定は不要で、いつもとも同じキー配列でのタイピングが可能です。
打ちやすいキーキャップとキースイッチ
こちらはVortexcoreに特有ではないと思いますが、DSAプロファイル×高さの低いキーボードの組み合わせが自分にとって非常にタイピングしやすいことに気づきました。
上記の通りVortexcoreには非常に満足していたのですが、一つどうしても慣れきれないところがありました。それは「数字記号入力が一つずつずれている」ことでした。
日本語の入力だけであれば、Vortexcoreで十分に感じます。ただプログラミングをするとなると、記号を多用する必要があります。
VortexcoreではFnキーとの同時押しで数字や記号を入力します。
その配置は、tabキーに数字の1と!、Aキーに2と@、...と多くのキーボードで採用されているホームポジションとは、数字と記号キーの配列が一つずつずれています。
この配列にどうしても慣れきれず、Vortexcoreの不満な点でした
キーマップを移動すれば済むじゃないかと思われるのですが、キーマップの変更の際にFnキーと合わせて入力するレイヤーだけの変更ができない(1と!のみをAキーに割り当てる)ができないようです
※上記の通り、Aに1と!、Sに2と@...と多くのキーボードが採用するキー配置に変更すれば、Fortexcoreで完結すると思っています。
ただ有志の方が開いているWebサイトなどを利用すると解消できるかもしれないです
ここはちゃんと調べてみたい
上記の通り「Vortexcoreの機能は満足だがどうしても40%配列には慣れない」のが自分の課題でひた
そこで同じVortexのキーボードでも60%のVortexgearに目をつけたわけです。
やっとですが笑、以下Vortexgearのレビューになります
Vortexgera Tab60のレビュー
- デザインはVortexcoreと同世にミニマルデザインになっています
- 自分は茶軸が好きなので、茶軸を利用しています。
- また交換用のキーキャップが付属しており、カラフルにすることも可能です
- そのままだと打鍵音が大きいので静音リングをつけます。
- 個人的にはこの静音リングがポイントで、静穏化だけでなく打鍵感を向上させてくれています(Vortexcoreに装着したところ打鍵感が向上したのでこちらでも同様に)。なんとなく打ち心地が滑らかになったと感じます
不満なところ
- 打鍵音が少しうるさいです。Vortexcoreよりも音が大きいのでより静音化ができないか検討しています
『万引き家族』を見た
地上波で放送されていたので、是枝裕和監督の『万引き家族』を観ました。
最初に感想だけ述べておきます。 あくまで私が見終わって感じた感想です。 実際に映画を観て個々人の感想を持った方が良いと思います。 人の感想を先取りして固定化するのも嫌なので、まだ観られていない方はご覧にならないでください。
おばあちゃんの死を境に、後半の展開が一気に急展開していきました。 成立していた「家族」が変化していく中で、「今の社会では正式な制度」と「違法な形式」の対比が鋭かったです。 果たして本当のヒサwせとはなんだろうか、今の制度上では正当だけれども、本当の幸せとは? 制度に乗らなければ許されないのか? 現状のシステムは、制度からはみ出た人に目を向けられているか?
感じ入ることが多く忘れたくないので、将来の自分が思い出せる程度にメモしておきます。 心に残った言葉
「学校は一人で勉強ができない人が行くところだ」 「お釣りがくるぐらいだよ」 「捨てたんじゃない、拾ったんだ。むしろ捨てられたんじゃないの」
最近映画を見ていませんでしたが、久しぶりに「込められたメッセージを自分なりに解釈したい」と前のめりになった映画でした
自分の気持ちを吐き出さないと、その気持ち自体を思い浮かべなくなるかも
自分への備忘録として書いています。
最近思ったことですが、今までの自分と比較した時に、心が動かされる 場面が少なくなっている気がします。
好きな音楽を耳にした時、感動するような話を聞いた時、面白い映画を見たとき、とか。 以前なら心にグッとくる感覚がありました。 ですが最近はそれを感じる機会自体が減っていると思います。 またそうした機会に触れている最中にもどこか集中しきれていなかったり、「結局自分には関係ない」とか「見たところでどうにもならない」、「どうせ ~~でしょ」とか 無力感とかシニカルな捉え方をする機会が増えています。 自分の人生を、自分で低く見積もっている・諦めているような感覚も感じます。
上のような気持ちや感覚が起こる理由を考えてみました。 その原因の仮説として、下のようなものを考えました。
- ある程度自分も年齢を重ねる中で、いろいろ経験し、心動かされる閾値が上がった
- 心動かされること自体が、エネルギーを使うために体が反応に鈍くなった(遠因として、体力が落ちたから??)
- 周りにそうした人がいる?
- 気持ちを発信していない?(発信することが恥ずかしいような??)
どれも当てはまるのかなと思いつつ、自分としては最後の「気持ちを発信していない」に当てはまるのかと思いました。 気持ちを放出していないことで、その気持ちを自分が認知できなくなっているとか。
何か結論が出たわけではないですが、自分で自分の人生を豊かにしたいし、気持ちには正直に向き合っていこうと思います。
前回のブログ記事で、主に仕事との関係から「定期的に自分に向き合うことの重要性」を題材にしました。 しかし、仕事だけでなく自分のプライベートや内面についてもしっかり向き合って、かつ自分にも目に見える形で発信しないとな〜。 自分に意識的に正直になろうと思います!
自分の欲求に日々向き合うことの大切さ
自分用の備忘録の意味合いも込めて書きます。
長期的視点が加えられないと、モチベーションが落ちてしまう
最近実感したことです。 仕事で忙しくなるとその仕事を進めることに多くの時間を集中してしまい、自分自身への気配りや内省がないがしろになってしまいます。
すると、目前で取り組んでいることも、長期的な視点で捉えられなくなります。 結果として、目前のタスクこなすマンになってしまい、「自分はなぜこの仕事をしているのか」と自分自身に疑心暗鬼になります。 なので、目前のタスクや仕事への熱意が下がり、結果としてパフォーマンスの低下にも繋がります。
どんな仕事でも意義はあるとはよく言われます。それは確かにと思いますが、どういう意義が見つかると自分が取り組めるのか を探すことは重要だと思います。
仕事を長期的視点で捉えるために、自分に響く意義を見つける
ではそうした自分に響く意義を見つけるにはどうすれば良いのでしょうか? まだ私自身も実践ができていませんが、忙しさにかまけずに、自分自身と向き合う時間を作ること は重要だなと思いました。 休日となれば、遊びたくもなるし、ゆっくり休みたくもなります。 もちろんリラックスする意味でそれらも重要です。 自分への戒めとしても、享楽的なものに時間を使うのではなく、自分への長期的な投資になる行動に時間を費やしたいなと思いました。
ブログもその位置付けでやっていきたいこうかな
brewdoctorのでPythonのエラー
※自分の備忘録と、同じようなエラーあたった人がなるべく早く記事にたどり着けるようにと、書きました。
起こった背景
brew doctor
とうち、もろもろきれいにしていたところ、Pythonのところで詰まる。
以下のエラーが発生
$ brew doctor ~省略~ Warning: You have unlinked kegs in your Cellar. Leaving kegs unlinked can lead to build-trouble and cause brews that depend on those kegs to fail to run properly once built. Run `brew link` on these: python
そこで指示通りに brew link python
とうってもエラー
Linking /usr/local/Cellar/python/3.7.3... Error: Permission denied @ dir_s_mkdir - /usr/local/Frameworks
そこで、/usr/local/Frameworks
に移動したところ、そうしたディレクトリさえない。
ここで対応がわからなかった。
解決法
以下の記事で言及されていた。 ありがとうございます!!
$ sudo mkdir /usr/local/Frameworks $ sudo chown $(whoami):admin /usr/local/Frameworks
- ディレクトリを作る
- 権限を与える
brew link python
CDを久しぶりに聞いてみた――視聴体験と儀式性音楽のインスタント化
晴れた土曜日、作業しながら音楽が聞きたくなった。
PC上で作業しているから、そのままブラウザからYouTubeを開いて作業用BGMを探したり、またiPhoneに手を伸ばして課金しているSpotifyを開くのがいつもの流れだ。
だけれども、今日はふとCDを聞きたくなった。
Spotifyを契約してから、音楽を聞く手段は、外出先はもちろんのこと家にいてももっぱらiPhoneだ。
なので、CDをラジカセにいれて音楽を聞く、という視聴体験はいつぶりだろう?
すくなくとも、昨年11月引っ越してからは聞いていないので、半年ぶりぐらいかもしれない。
ベッド下のケースからCDを取り出す。
縦に入れているので、そのままだとどのCDかわからない。
CDの上をなぞるように手をかけて、ケースを斜めにしてジャケットを確認する。
そうして一通り見た上で、手にとったのは宇多田ヒカルの『Fantôme』だった。
通常のアルバムより少し肉厚なケースから、CDを取り出す。
コンポにCDを挿入する。
そうしてスピーカーから流れる音楽を聞いたとき、普段iPhoneで聞く音楽とは違うように聞こえた。
なんというか、メロディ・歌詞が、自分のなかに染み入ってくる。
普段も音楽は聞いているのに、この違いはなんだろうと疑問に感じた。
そこで考えたのは、実際に音楽を耳にするまでの「行動」が関係しているのでは?ということだ。
iPhoneで音楽を聞くまでの動作は、他のアプリの操作と変わらない。
Spotifyを起動して、検索や履歴から聴きたい曲を選び、タップすれば再生される。
一方で、CDの場合、聴きたいアルバムを選び、ケースからCDを取り出し、コンポに挿入し、再生ボタンを押す。
この一連の動作は、CD固有のものだとおもう。(DVDとかあるけれども)
この音楽を耳にするまでの動作が、日常生活のなかでCD固有の動作であるために、自分の体が 視聴モード に入り、 より音楽が聞けた のではないか。
もしかすると、聞いたアーティストが「宇多田ヒカル」だったから、かもしれない。
また、自分の人生の視聴体験が、CDを中心に形成されてきたから、かもしれない。
だけれども、久々にCDで聞いてみて、音楽を聞くことひとつをとっても、儀式性を伴うものだと感じてしまった。
今の時代は、iPhoneやAndroidで音楽を聞く場面が増加している。
また、CDから取り込む過程もなくなり、SpotifyやApple Musicでサブスプリクション契約をすれば、その瞬間に聴き放題だ。
たしかに聞く側にとっては音楽を手軽に聞けるようになった。
また届ける側にとっても、インディーズアーティストの売上増加にも貢献しているらしい。
こうして音楽の民主化が進行する一方で、音楽の視聴体験自体が「軽くなる」すなわち「インスタント化」しているのかもしれない。
音楽に限らず、サブスプリクションモデルとなれば、一定金額を支払えば、使い放題となる。 絶対的に便利だけれども、一方でそこで提供されるモノひとつひとつへの、思いやりというか集中は、軽くなってしまうのかもしれない。